● 更新:2017年10月09日(月)


#005  「 DIY ・ オリジナルのゲーム筐体を作ってみた 」


 

 前回“かれんさん”が遊んでいたオリジナルのゲーム筐体は昨年(2016年)DIYで制作したモノです。

           

 今回は以前のトイレの時と同じように、DIYの制作過程をレポートしたいと思います。

 

 まず、何故このようなゲーム筐体を作ろうと思ったのかと言いますと、この雑誌を本屋で偶然手に取ったのがきっかけです。

 ※ 2016年3月31日刊行 タンデムスタイル5月号増刊 「20世紀 〜ゲームと、夢のアーケード〜」 

 

 この雑誌は1950年代〜2000年までの日本の風景や当時の娯楽を紹介しており、
 その中で懐かしいゲーム筐体の写真も数多く掲載されておりました。

 ノスタルジー溢れる昭和の風景と、リアルタイムで自分が楽しんだ数々のゲーム筐体の写真を見て、
 無性にゲーム筐体を入手したい衝動に駆られました。

 

 そこで、まずは一番手軽な入手方法としてヤフオクの出品物を物色しました。

 しかし値段は手頃なモノが多いものの、当然のことながら業務用のアーケード筐体はサイズが大きくて重量もあります。

 ・そんなデカイ物をウチに置く場所があるか?
 ・もし置けたとして飽きずにゲームをプレイし続けるか?
 ・そもそも どんなゲームがしたいのか?

 などなど自問自答して、結局アーケード筐体の購入は見送りました。

 

 そこで思い出したのが、Windowsで起動するアーケードゲームのエミュレーター「MAME」(メイム)の存在です。

 

 「MAME」(Multiple Arcade Machine Emulator)は、
 1997年にイタリア人のニコラ・サルモリア氏が開発したオープンソースのゲームエミュレーターで、
 “オリジナルのゲームの動作を忠実に再現する”ことを開発コンセプトにしております。

 ※ 「MAME」はソースコードが公開されたオープンソースですが、現在 商用利用は制限されております。
    (将来は商用利用も可能にする完全オープンソース化する計画のようですが未だ実現しておりません…)

 

 実物のゲーム基板からROMデータを吸い出して、データイメージを構築して動作・起動する「MAME」のゲームは、
 表示画面やサウンド、動作やデモ画面に至るまで、
 オリジナルゲーム基板による実機の動作と変わらない完成度を実現しています。

 

 ゲームのイメージデータは
 「MAMEの公式サイト」や多くの「海外サイト」で公開・配布されているので、簡単に入手することが可能です。
 自分もその時には、
 既に起動するゲームと起動しないゲームを含め、約1万タイトルのイメージデータを入手していました。

 

 ちなみに、MAMEでゲームを起動させるには、ゲーム本体のROMイメージデータの他に、
 基板のチップセット(CPU、グラフィックボード、サウンドボードなど…)をエミュレートする為のデータが必要で、
 全てのデータが揃ってなければ、起動や完全な動作はしません…。

 

 当時、起動するゲームが4700タイトルほどあったので、これを使ってDIYでゲーム筐体を制作することにしました。

 

 しかしココで問題が…。

 MAMEは各ゲームごとに様々な設定を保存することができるのですが、
 中でも問題なのは操作するボタンの設定を全てのゲームにしなくてはいけないという事です。
 もちろんデフォルトの設定はあるのですが、
 ゲームによって使用するボタンの数が違ったり、用途が違ったりするので、結局は設定をし直さなければなりません…。

 う〜ん、これは相当な労力を必要とする、かなり面倒な作業です…。
 一旦は諦めようかと思ったところ…、

 

 思い出したのが、以前ヤフオクを物色していたときに見かけた、MAMEをインストールしたPCの出品でした。

 

 詳細を確認してみると “全ての操作がコントローラーのみで行える” とあります。
 ということは、
 各ゲームの設定をキーボードで行う必要がないという訳で、すなわち面倒な各ゲームの設定が全て行われていることを示します。

 しかも収録されているゲームのタイトル数も約8400と多い!
 おまけにMAME本体も最新バージョンで、ゲームの選択画面も快適になっているなど“至れり尽くせり”の内容ではありませんか。

 
 ※ 現在は全く同じ出品物はないものの、同様のMAMEをインストールしたPCは現在もヤフオク等で出品・販売されております。

 …っというわけで、早速そのPCを落札。
 PC本体にはPSタイプの無線式ゲームコントローラーが2台セットになっており、
 ディスプレイさえ用意すれば即プレーが可能という手軽さでした。

 しかしアーケードゲームは、アケコン(アーケードコントローラー)で遊ぶのが本来の姿…。
 そんな訳で、
 少し回り道しましたが、このPCをベースにしてゲーム筐体の制作を始めました。

 

 まず制作するゲーム筐体ですが、一般家庭にも問題なく置けるよう“小型 ・ 軽量”をコンセプトにし、
 リビングにも馴染むようにシックな木目調のデザインにしました。

 材料はホームセンターで黒のカラーボードを買ってきて、ジグソーを使って自宅で切りました。
 表面にはトイレの時と同様に木目調のカッティングシートを貼っています。

 

 アケコンのBOXも木の板を加工して制作、表面にはカーボン調のカッティングシートを貼りました。

 実際の業務用ゲーム筐体で使用されている
 セイミツ工業製のジョイスティック(レバー)とボタンを秋葉原のパーツショップで購入し、
 様々なゲームで2人同時プレーに対応した「2L12B(2レバー ・ 12ボタン)形式」で制作しました。

 PCとの接続には、“USB⇔2L12Bの変換基板”が必要となります。
 (自分はネットで中古のコントローラーを入手して、基板だけ流用しました)

 

 アケコンのパネルをセットして、キーボードとディスプレイを仮組みした状態です。

 

 実はディスプレイには当初、使わなくなっていたEIZO(ナナオ)のS1931を使用する予定でしたが、
 画面表示が切り替わる応答速度が16msと遅く、動きの激しいゲームには適していないことが判明しました。

 1ms=0.001秒 16ms=0.016秒

 現在の一般的なディスプレイの応答速度は5〜10msなので、それと比べてもS1931は遅いということになります…。
 そんな中、いわゆるゲームに特化したゲーミングモニターといわれるディスプレイの応答速度は1msと早く、
 多くのゲーマーが愛用しています。

 しかし、ゲーミングモニターは画角が16:9などのワイド画面ばかりで、レトロゲーム向きの4:3のディスプレイはありません。
 (ブラウン管には応答速度はなく遅延は全くありませんが、奥行きのサイズや重量がハンパないので使えません…)



 そこで見つけたのが、この芝商事の業務用ゲーム液晶モニター“M−19”です。
 このM−19は業務用だけあって様々なゲーム機に使えるマルチスキャンに対応していて、
 JAMMA基板やJVS基板をそのまま繋ぐことが可能です。
 しかも画角が4:3で、問題の応答速度は1.3msとゲーミングモニターと遜色のない性能を誇っています。

 これで当たり判定がシビアな弾幕系シューティングや、対戦格闘ゲームも問題なくプレイできるでしょう。

        

 PC本体をセットし、上部にスピーカーとアンプを組み込みました。

 

 そして高輝度のLEDスポットライト(白色)も設置しました。

        

 更にパネル用のスティックLED照明を取り付け、上部のフタを制作。

 

 パネルのデザインはフォトショップで行ってプリントアウト。
 そのプリントアウトした紙をネットでサイズオーダーしたアクリル板2枚で挟みました。

 

 上部のフタを乗せて照明を点灯。

 

 ちなみに、上部に仕込んだ高輝度LEDスポットライトは元は“白色LED”でしたが、
 光源とレンズの間に照明用のアンバーフィルターを挟んで“電球色”へ変えました。

 この時点でほぼ完成状態ですが、ディスプレイと筐体には隙間があり後ろからの光が漏れております…。

 

 ディスプレイの前面にネットでサイズオーダーしたUVカットガラスを設置。
 加えて隙間を黒布で埋めて完成に至りました。

       

 ディスプレイ全面のガラスは実際の業務用筐体にも使用されており、質感もグッと向上するのでオススメですよ。

       

 裏の背板はベニヤ板で安価に済ませました。
 マグネットで固定されており、上部2ヶ所の折り畳み式の取っ手を引っぱれば簡単に外れます。

     

 背板を外すとこんな感じです。
 PC本体にも簡単にアクセスができ、メンテナンスや部品交換も楽に出来ます。

 ちなみに前面のキーボードをずらしてネジ止めを外せばアケコンのBOXが前から取り出せて、
 簡単にレバーやボタンの交換ができるようにしてあります。
 (レバーやボタンは消耗品ですからね…)

       

 小型&軽量をコンセプトに制作したゲーム筐体のサイズはこうなりました。
 幅49cm ・ 最大奥行き46cmなので、
 50cm×50cmのタイルカーペット1枚分のスペースに設置可能というコンパクトサイズです。

 また、ロック機構付きナイロンキャスターを装着したので移動もラクラクですよ。

 ※ 全体の総重量は、ちょうど30kgです。

 

 そしてこの筐体、実は大型ネジ1本で本体と台が結合しており、ネジを外せば簡単に分離が可能です。
 (本体の底板にネジ受け金具を取り付けてあります)

 これで車に載せて何処かへ持ち出すこともできますよ。

 

 あまりに多くのゲームを収録している為、これらの本をカタログ代わりに使っています。
 (実際コレだけではカバーしきれていません…)

 

 普段はこうして台の収納スペースに置いています。

 

 では、各ボタンの説明です。

 @ パネル照明のON/OFFスイッチ
 A LEDスポットライトのON/OFFスイッチ
 B タッチパッド&バックライト付きキーボード(有線 ・ 板にケーブル用の穴を開けています)
 C ゲーム選択決定ボタン & 1Pボタン
 D 2Pボタン
 E 1P&2P クレジットボタン(1回押すたびに100円が投入されたことになります)
 F ゲーム終了ボタン(コレを押すと強制的にゲーム選択画面に戻ります)
 G 1P&2P レバー(ジョイスティック)
 H 1P&2P Aボタン
 I 1P&2P Bボタン
 J 1P&2P Cボタン
 K 1P&2P Dボタン
 L 1P&2P Eボタン
 M 1P&2P Fボタン
 N 1P&2P Aボタン対応 シンクロ連射ON/OFFスイッチ (現在はボタンのみで基板は未装着)

 ※ Nにシンクロ連射用のON/OFFスイッチを装着したものの、
     MAMEは個別に連射ボタンの設定もできるので、結局 基板は未装着のままになっています…。

 ※ E+Fの同時押しでPCがシャットダウンするショートカットが登録されています。

 

 @のON/OFFスイッチでパネル照明が点灯・消灯します。

 

 AのON/OFFスイッチでスポットライトが点灯・消灯します。

 

 スポットライトを点灯すれば、部屋の照明を消してもプレイが可能です。
 (スポットライトのレンズ部分は前後に可動し、照明の照射エリアを“狭い⇔広い”に調整もできます)

 

 上部にはアンプとスピーカーも組み込んであります。
 ステレオのスピーカーは音を画面のガラス面に反射させて、シャープで臨場感あるサウンドを実現しました。

 

 アンプは12Vで駆動するコンパクトなステレオアンプです。

 MAMEで起動するゲームはオリジナルのゲーム基板の設定によってそれぞれデフォルトの音量設定が違っており、
 選択するゲームによって音量の大小の差が結構あります。
 その為、ゲームの音量ツマミを調整する頻度が高いので操作しやすい画面上部にアンプを設置しました。

 このステレオアンプは低音と高音の調整ツマミが付いているので、好みの音質への調整も可能です。

 

 このゲーム筐体の大きな特徴は、タッチパッド付きのキーボードが画面の前に設置されているところでしょう。
 実はコレには大きなメリットがあるのです。

 タッチパッド付きキーボードがあれば、マウス不要で各種の設定変更が可能なほか、
 MAMEを終了させて普通のPCとして使用する際もとても便利です。

 

 ちなみに、1P&2P レバー(ジョイスティック)を両方使う設定にすれば、
 レバーを2つ使用する“リブルラブル”や“クレイジークライマー”などのゲームもプレイ可能です。

 

 そしてキーボードがある最大の利点がコレです。

 

 本来、マージャンゲームは専用のコントローラーが必要ですが、キーボードがあればプレイ可能です。
 マージャンだけでなく花札やポーカーなどのカードゲームもプレイできるのでメリットは非常に大きいと言えるでしょう。

 昔、時間とお金の関係で “脱がすことができなかったアノ娘へ数年ぶりにリベンジ!” なんてことも出来ます。
 周りの目も気になりませんし、コンティニューのお金は一切かかりませんからね。

 

 では改めて、このゲーム筐体(PC)に収録されているゲームについて少しご紹介しましょう。

 
 左:1977年 グレムリン 「ディプスチャージ」        右:1981年 SEGA・グレムリン 「SPACE FURY」

 まずは自分の少年時代に近所のゲームセンターや駄菓子屋にあったゲームです。
 この辺りはさすがに古すぎて知らない方も多いでしょうね…。

 実は両方ともアメリカのグレムリン・インダストリーが開発・製造を行ったゲームです。
 しかし1979年にSEGAがグレムリン・インダストリーを買収した為、社名が「SEGA・グレムリン」となりました。

 ちなみに 「SPACE FURY」は世界初のカラー方式のベクタースキャンのゲームで、
 しかもオリジナル版はナビゲーターや敵が英語でしゃべると言うゲーム史に残る記念碑的な作品です。
 開発にはSEGAも関わっている為、日本への輸出版は英語ではなく日本語でしゃべります。

 
 左:1981年 任天堂 「ドンキーコング」           右:1983年 任天堂 「マリオブラザーズ」

 ここら辺のメジャータイトルなら皆さんご存知でしょう。

 
 左:1979年 ナムコ 「ギャラクシアン」           右:1981年 ナムコ 「ギャラガ」

 もう説明する必要はありませんね…。

 
 左:1982年 データイースト 「バーニングラバー」      右:1980年 新日本企画 「サスケvsコマンダー」

 では少しマイナーなゲームを…。

 個人的に「バーニングラバー」はやり込みましたね。
 敵の車にぶつかっても死なず、ジャンプで踏み潰せるなどの画期的な要素満載のレースゲームでした。
 全32面構成ですが32面クリア後はループして1面に戻るので、
 上達すれば無限にプレイできる子供にとっては夢のようなゲームです。

 「サスケvsコマンダー」はゲーム性としては「ギャラクシアン」に近いものの、
 忍者の世界観を活かした多彩な演出が見事で、このゲームもやり込みました。
 中でも特筆すべき点は、
 当時 日本語のフォントが存在しないにも関わらず、忍術の名前をドットで手書きして日本語表示させていたところでしょうね。

 
 1980年 日本物産 「クレイジークライマー」

 「リブルラブル」の紹介時に名前を出しましたが、このゲームもレバーを2本使ってプレイします。

 
 1981年 アルファ電子・豊栄産業・セガ 「JUMP BUG」

 サブタイトルが「ワーゲンの不思議な冒険への旅」というだけあって、
 ビルの上をワーゲン(ビートル)でジャンプしながら進む不思議なゲームでした…。

 
 1981年 ナムコ 「ボスコニアン」

 画面の右側にあるレーダーが斬新な全方向に進めるシューティングゲームでした。


 
 1983年 コナミ 「タイムパイロット」

 全方向に進めるシューティングゲームと言えば、コレも外せませんね。
 敵機の強さをタイムトラベルによって上昇させて行くという画期的なアイデアが実に素晴らしいです。

 
 1982年 セガ 「ペンゴ」

 個人的にはあまりプレイしませんでしたが、デモ画面の音楽が脳裏に焼きついて離れません…。

 
 1982年 ナムコ 「ディグダグ」

 コレはよくプレイしました。
 近所の駄菓子屋だけでなく、MSX版を購入してウチでもプレイしましたね。

 
 1983年 タイトー 「フロントライン」

 “十字レバー”と“ダイヤルスイッチ”を用いる独特なプレイスタイルが印象的なアクションゲームでした。
 MAMEなら、2P用のレバーも使用すれば問題なくプレイできますよ。

 
 1983年 コナミ 「ハイパーオリンピック」

 コレは翌年(1984年)開催されるロサンゼルス・オリンピックをモチーフとしており、
 6種目の陸上競技で高記録を競うというゲームでした。

 高記録を出すためにはボタン連打が必須で、ボタンに爪やコインを擦りつけたり、
 鉄やプラスチックの定規を用いて振動でボタンを連打するなど、様々なワザが生み出されました。
 その為、ゲーム筐体のボタンの損傷が激しく、人気ゲームにも関わらず設置店からは敬遠されたゲームでもありましたね…。

 
 1983年 アイレム 「ジッピーレース」

 バイクに乗ってロサンゼルスからニューヨークを目指すレースゲームです。
 よく駄菓子屋でプレイしましたが当時はゴールまでは行けず、このMAMEで初めてエンディング画面を見ました。

 
 1984年 コナミ 「ロードファイター」

 こっちは“シボレー・コルベット”に乗って、ニューヨークからサンフランシスコへ行くレースゲームです。
 このゲームのエンディング画面もMAMEで始めて見ました。

 ちなみに、エンディング画面の後に難易度が上がった2週目がスタートします…。

 
 1984年 ナムコ 「ドルアーガの塔」

 誰もが知る有名タイトルですね。
 最上階に囚われている巫女で恋人の“カイ”を救うために、60階建ての悪魔ドルアーガの塔を攻略するアクションゲームです。
 (本当はもっと深いストーリーがあるので、詳細はネットで調べてみて下さい…)

 攻略にはかなりの時間を要するため、自力では未だにクリアできていません。
 ちなみに、エンディング画面は「ゲームセンターCX DVD−BOX5」の特典映像で見てしまいました…。

 
 1985年 コナミ 「イー・アル・カンフー」

 全11人の格闘家と戦って武闘大会「王座杯」で優勝を目指す対戦格闘ゲームです。

 ちなみにコレが初めて体力ゲージを表示した対戦格闘ゲームなのですが、
 対人対戦はできずコンピュータとしか戦えませんでした…。

 
 1985年 ナムコ 「スカイキッド」

 軽快な音楽が好きでよくプレーしましたね。
 被弾してもボタン連打で復活する為、難易度は低くて当時から長時間プレイができるお気に入りのゲームでした。

 ちなみに全21ステージで、最終ボスは空中戦艦です。

 
 1986年 タイトー 「バブルボブル」

 コレも音楽が好きでよくプレーしました。
 このゲームの本質は2人同時プレーによる連携にあり、
 ゲームのエンディングは2人同時プレーでないと見られないという、特殊な仕様になっております。
 (シングルプレーで全100ステージをクリアしても、面が戻されるだけでエンディング画面は見られませんでした…)

 

 駄菓子屋のゲームと言えば「メタルスラッグ」シリーズは定番ですね。

 
 左:1996年 ナズカコーポレーション 「メタルスラッグ」  右:1998年 SNK 「メタルスラッグ2」

 
 左:1999年 SNK 「メタルスラッグX」         右:2000年 SNK 「メタルスラッグ3」

 
 左:2002年 SNK 「メタルスラッグ4」         右:2003年 SNK 「メタルスラッグ5」

 アーケード版の「メタルスラッグ」は“6”(2006年)まであるのですが、PCには“5”までしか入っておりませんでした…。

 
 2002年 IGS 「デーモンフロント」

 コレは「メタルスラッグ」と同じテイストのゲームで、緻密なグラフィックとアニメーションが見事です。

 
 1993年 アイレム 「海底大戦争」

 緻密なグラフィックとアニメーションが素晴らしいゲームの先駆けと言えば、この「海底大戦争」でしょう。
 「メタルスラッグ」の3年前に稼動を始めた名作ゲームです。

 
 1988年 SEGA 「テトリス」

 では、ココからジャンル別にご紹介しましょう。
 まずは 万人向けの“落ちモノゲーム”です。

 日本中で大ヒットを巻き起こした「テトリス」は、本当にどこのゲームセンターにも置いてありましたね。
 シンプルなルールと操作で“老若男女”問わず多くの人がプレーし、現在でも数多く稼動している本当の大ヒット作です。

 
 1992年 SEGA 「ぷよぷよ」

 「テトリス」を発端にして多くの“落ちモノゲーム”が作られるようになり、中でもヒットしたのがこの「ぷよぷよ」ですね。
 可愛らしいキャラクターや連鎖の要素を取り入れ、一気に“落ちモノゲーム”の幅を広げた作品と言えるでしょう。

 
 左:1994年 SEGA 「ぷよぷよ2 通」          右:1996年 SEGA 「ぷよぷよ3 SUN」

 このPCには「ぷよぷよ3」まで入っていました。

 
 1995年 KONAMI 「ときめき メモリアル 対戦 ぱずるだま」

 その後“落ちモノゲーム”はブームに乗っかって、様々な別のゲーム作品とコラボするようになりました。
 これは当時、
 人気だった恋愛シミュレーションゲーム「ときめきメモリアル」とコラボした「ときめき メモリアル 対戦 ぱずるだま」です。

 「ときめきメモリアル」は1994年にPCエンジン SUPER CD-ROMで発売され、
 当時はハードのPCエンジン自体の出荷台数が少なかった事もあり、ソフトの生産数が少なくて品切れが相次いでいました。

 そして翌年の1995年にプレイステーション版が発売されて大量生産されると、
 その人気は爆発的に拡大して、世間に「恋愛シミュレーションゲーム」というジャンルを定着させました。

 実はこの 「ときめき メモリアル 対戦 ぱずるだま」は、
 そのプレイステーション版の発売に合わせて稼動をはじめた戦略的な作品でした。

 
 1997年 SEGA 「サクラ大戦 花組 対戦 コラムス」

  これは「ときめき メモリアル 対戦 ぱずるだま」の成功を目の当たりしたSEGAが、
 当時セガサターンで人気を博していたドラマチックアドベンチャーゲーム「サクラ大戦」とコラボさせた“落ちモノゲーム”です。
 この「サクラ大戦 花組 対戦 コラムス」も続編が制作されたりして、そこそこ人気がありました。

 
 2005年 CAVE 「パズル! 虫姫たま」

 これは、
 CAVEの弾幕系シューティングの人気作「虫姫さま」と、同じくCAVEのパズルゲーム「魚ポコ」をコラボさせた作品です。
 一見“落ちモノゲーム”のようですが、玉をバネで打ち上げるパチンコやスマートボールのようなギミックが入ったゲームで、
 ゲーム中「虫姫さま」のキャラクターがしゃべるだけでなく、唄いまくります…。

 
 1996年 namco 「子育てクイズ マイ★エンジェル」

 そしてコレも万人向けの“クイズゲーム”です。

 この「子育てクイズ マイ★エンジェル」は、自分の娘をクイズに応えて0歳〜25歳まで育てる育成クイズゲームです。
 答えるクイズのパラメータや発生するイベントによって、
 「まじめ」「おいろけ」「おたく」「わんぱく」の4つの中から性格が決まります。

 このMAMEなら、コンティニューに費用が一切かからないので、いろんなタイプの娘を好きなだけ育てられますよ。

 
 左:1996年 namco 「子育てクイズ マイ★エンジェル2」 右:1998年 namco 「子育てクイズ マイ★エンジェル3」

 続編の「子育てクイズ マイ★エンジェル 2」では男と女の双子を育てるようになり、
 その続編「子育てクイズ マイ★エンジェル 3」では、娘を育てると共にペットも飼うという、よくわらない仕様になっています…。

 
 1996年 カプコン 「クイズなないろDREAMS 虹色町の奇跡」

 コレは当時流行していたクイズゲームに美少女との恋愛要素を組み込んだ“恋愛クイズゲーム”です。
 半年の間に虹色町に住む7人の美少女と交流して、
 心を開かせ(封印のクリスタルを回収して)異世界の魔王から世界を救うというファンタジーの要素も併せ持つ異色作でした。

 
 1997年 バンプレスト 「クイズ!! 美少女戦士セーラームーン 〜知力・体力・時の運〜」

 コレは人気少女マンガ「美少女戦士 セーラームーン」のクイズゲームです。
 題材にしているのはTVアニメ第3期「美少女戦士 セーラームーンS」で、
 ウラヌス・ネプチューン・プルート・サターン・ちびうさ も登場し、セーラー戦士が総出演する豪華な作りとなっています。

 
 1997年 バンプレスト 「クイズ!! 美少女戦士セーラームーン 〜知力・体力・時の運〜」

 物語はスゴロク形式で進行し、クイズに答えることで敵の組織「デス・バスターズ」を倒すのが目的です。
 クイズを早く答えることによって溜まるゲージが満タンになって発動する必殺技は、
 TVアニメ第3期と同じシーンを再現していたりして、細部に渡って作りこまれたファンも納得の良い作品です。

 
 1997年 TAITO 「きらめき スターロード ♪イントロ倶楽部♪」

 クイズはクイズでも、コレは曲のイントロを聴いて曲名を答えるイントロクイズのゲームです。
 クイズに答えることで、街でスカウトした女の子をタレントとして育成するという内容でした。

 
 1989年 日本物産 「祇園花」

 では、少しマニアックな“花札(こいこい)ゲーム”をご紹介しましょう。

 “花札(こいこい)”のアーケードゲームは、
 1982年に誕生したものの、麻雀ゲームに比べて人気が出ずしばらく低迷が続きました。
 そんな人気のない“花札(こいこい)ゲーム”において、
 この「祇園花」は当時既に稼動していた脱衣麻雀の要素を取り入れた「脱衣花札」の先駆けとして徐々に人気を得ていきます。

 
 1996年 DYNAX 「花札 花かんざし」

 時は流れて、女性のグラフィックも魅力的になってきました。

 
 1999年 ユービス 「遊華 YU-KA」

 この頃になると、アニメ絵の女性キャラが登場する“花札(こいこい)ゲーム”も増えてきます。

 
 左:1997年 ビスコ 「スーパーリアル花札 恋こいしましょ2」 右:1999年 ALTRON 「団地で花札 奥さん米屋ですよ!」

 人気シリーズの花札版や、米屋が配達先で団地妻と花札をするというブッ飛んだ設定の花札ゲームなんてモノもありました…。

 
 1995年 DYNAX 「ドンデンラバー 〜白黒つけよっ〜」

 では、他のテーブルゲームの紹介も…。

 コレは当時、玩具メーカー「ツクダオリジナル」が販売して人気があった「オセロ(リバーシ)」のアーケードゲームです。
 ちなみに数ある「オセロ(リバーシ)」ゲームの全てに脱衣要素はありません…。

 
 1994年 VISCO 「KIRA KIRA 五目ならべ 連珠貴族」

 コレは五目並べのゲームです。
 さすがに囲碁だと時間がかかりますからね…。

 
 1997年 VISCO 「清水市代 女流四冠王 監修 女流将棋教室」

 今、何かと話題の将棋のゲームも数多くあります。
 この「清水市代 女流四冠王 監修 女流将棋教室」は対戦相手が実写の動画で表示され、
 コチラが打つ手によって反応がリアルタイムで変化するという、非常に凝った作りです。

 ちなみにコチラが長考すると、右上の画像のように“髪をいじって暇そうな反応”をして神経を逆撫でします…。

 
 2005年 サクセス 「おてなみ拝見 FINAL」

 こんなにファンシーな雰囲気の将棋ゲームもありますよ。

 
 1988年 SETA 「スーパーリアル麻雀 Part 3」

 既に少し紹介しましたが、改めて脱衣麻雀もご紹介しましょう。
 自分にとって脱衣麻雀のアーケードゲームと言えば、やっぱりこの「スーパーリアル麻雀 Part 3」ですね。

 
 1988年 SETA 「スーパーリアル麻雀 Pert 3」

 1988年と言えば先に紹介した「テトリス」が登場して大ブームを巻き起こしていた時で、
 当時は しゃべるゲームも少ない中、この「スーパーリアル麻雀 Pert 3」は“かすみ”や“みき”が しゃべる上に、
 フル画面表示のキャラクターがフルアニメーションで動くというかなりのインパクトを持っていました。

 初めてゲームセンターで動く“かすみ”を見た時の衝撃は今も忘れられませんね…。

 
 左:1994年 JALECO 「アイドル雀士 スーチーパイ U」 右:1996年 幻 「麻雀四姉妹 若草物語」

 脱衣麻雀は本当にたくさん収録されていて、とても全てをプレイしきれません。

 
 左:1996年 セイブ開発 「E雀 ハイスクール」       右:1998年 KANEKO 「VS麻雀 乙女繚乱」

 この頃の脱衣麻雀は当時の人気声優が声をあてているので、アニメ好きの自分にとってはチェックしたいところなんですけどね…。

 
 2003年 ARUZE 「新スーパーリアル麻雀 Hi☆Pai パラダイス」

 これは「スーパーリアル麻雀 Pert 8」まで制作する予定だったSETAが、
 ARUZEに買収されてシリーズリニューアルされた作品です。

 
 2003年 ARUZE 「新スーパーリアル麻雀 Hi☆Pai パラダイス」

 キャラクターデザインが現代的で可愛いくなりましたが、
 前シリーズで好評だったアニメーションや脱衣要素が無くなった為に人気が出ず、商業的に大失敗に終わりました…。

 実は目玉の脱衣要素が無くなったのは1999年に施行された「児童ポルノ禁止法」の影響で、
 法的には禁止されていないモノの、
 子供が出入りするゲームセンターで脱衣シーンがあるゲームを店に置きにくくなったというのが理由です…。
 せめてアニメーションだけでも残していれば、良かったんですけどねぇ〜。

 
 1988年 日本物産 「麻雀刺客」

 アニメと言えば、当時は著作権的に攻めたヤバイこんなゲームもありました。
 左から…、
 「点棒のマミ」 「万棒のナウシーカ」 「サイコロのまどか」 「ハコ点のランマ」 「マット使いのエミ」です。

 このゲームのヤバイところは、キャラクターの無断使用だけでなく脱衣シーンで勝手に脱がしているところですね。
 しかし訴えられて裁判沙汰になった話は聞かないので、各作者から黙殺されていたようです…。

 ちなみに、ラスボスは「殺人牌のラム」(うる星やつら)で、真のラスボスは「雀卓がえしのモモ」(ミンキーモモ)です。

 
 1994年 港技究・SEGA 「ずんずん教の野望」

 ヤバイゲームと言えばコレもそうですかね…。
 当時は宗教団体「オウム真○教」が世間を騒がせていた時代だった為、ゲームセンター内で異彩を放っていました。

 ゲームの内容は、
 世界中にある「ずんずん教」の各支部を「金地蔵」1Pと「銀地蔵」2Pが壊滅させて、
 「ずんずん教」の野望を阻止するのが目的のシューティングゲームです。
 コンセプト的には「パロディウス」や「超兄貴」みたいなバカゲーシューティングに分類されますね。

 ちなみに、各支部を壊滅させると最終ステージ「ずんずん教 本部」で決戦となります。

 
 1982年 namco 「XEVIOUS(ゼビウス)」

 せっかくなので、
 前回も紹介しましたが、シューティングゲームも少しだけご紹介しましょう。

 まず前回もチラっと登場した「ゼビウス」ですが、アーケードゲームで続編が何本か作られています。
 1984年に「スーパーゼビウス」が稼動していますが、
 コレは続編とは言うモノの
 「ゼビウス」のプログラムに手を加えて難易度を上げただけなので、真新しさは全くありませんでした…。

 
 1991年 namco 「SOLVALOU(ソルバルウ)」

 そして1991年に稼動をはじめた続編「ソルバルウ」は一気に斬新なゲームとなりました。

 

 自分は自機(ソルバルウ)のガンナーとなり、フル3D-CGで描かれた「ゼビウス」の世界で、
 ひたすら敵組織「ガンプ」の敵機を攻撃するというガンシューティングになっています。

 

 「ゼビウス」の世界をフル3D-CGで体験できるのは良いのですが、当時はあまりに斬新すぎて人気は無かったようです…。
 (ちなみに、自機「ソルバルウ」はゲームオリジナルの言語“ゼビウス語”で「太陽の鳥」という意味です)

 
 1995年 namco 「XEVIOUS 3D/G」

 コレは前作の失敗を踏まえて開発された続編「XEVIOUS 3D/G」です。
 「ゼビウス」と 前作「SOLVALOU(ソルバルウ)」を良い意味で融合させた内容で、操作性は元祖「ゼビウス」を踏襲しつつ、
 世界観はフル3D-CGで描かれており、フル3D-CGのメリットを活かした多彩な演出は迫力があって非常に面白いです。

 武器がパワーアップしたり、地上攻撃のブラスターは連射が可能な上にロックオン式になっていたり、二人同時プレイが可能など、
 いくつもの新要素が追加された個人的にお気に入りのゲームです。

 
 1984年 テーカン 「STAR FORCE」

 このゲームも当時は取り憑かれたようにプレイしましたね。
 少年時代、フェリー「さんふらわあ」内のゲームコーナーで徹夜プレイしたのも今では良い思い出です…。

 
 1985年 コナミ 「グラディウス」

 名作シューティングゲームの第1作です。
 様々なハードに移植され、ウチではMSX版をプレイしていました。
 しかし当時、家庭用PCとして最高クラスの性能を誇っていた「X68000」版を持っていた友人がおり、
 移植度が一番アーケード版に近かったので、結局その「X68000」版を度々プレイさせてもらっていました…。

 
 1988年 コナミ 「グラディウスU GOFERの野望」

 ゲーム性は前作と変わらないモノの、
 グラフィックや演出がパワーアップしており、ゲーム雑誌「ゲーメスト」で大賞を受賞したほどの人気作でした。

 
 左:1989年 コナミ 「グラディウスV 伝説から神話へ」   右:1999年 コナミ 「グラディウスW 復活」

 翌年の1989年、人気の勢いを衰えさせまいと早々に続編「グラディウスV 伝説から神話へ」が稼動しました。
 武器やシールドのバリエーションが増えたモノの、使いづらい武装が多く、難易度が極端に上がっていた為、
 多くのゲーマーから高評価を得ましたが、“一見さんお断り”な感じで、初心者からの評判はあまり良くありませんでした…。

 そして「グラディウスV 伝説から神話へ」で一度完結したシリーズが10年後の1999年に復活、
 その名もそのまま「グラディウスW 復活」です。
 ステージ構成や武装・シールドなどは前作の「グラディウスV 伝説から神話へ」を踏襲しつつ、武装が更に追加されていたりします。
 そして何より前作までと違うのが、流行の3D-CGを採用したところでしょう。
 ポリゴンで描かれたグラディウスの世界は新鮮で、3D-CGならではの演出もあり個人的には面白かったです。

 
 左:1986年 コナミ 「沙羅曼蛇」             右:1996年 コナミ 「沙羅曼蛇2」 

 ちなみに「グラディウス」の派生作「沙羅曼蛇」シリーズもちゃんと収録されてました。

 
 1987年 アイレム 「R・TYPE」

 「グラディウス」シリーズと同じくらい遊んだのがこの「R・TYPE」です。
 3種類の個性的なレーザーに加え、タメ撃ちの“波動砲”が爽快感があって良くプレイしました。
 オプションの“フォース”がまた斬新で、直感的に遠隔操作も出来たので、ストレスなくサクサク進めるシューティング作品でした。

 
 左:1989年 アイレム 「R・TYPEU」          右:1992年 アイレム 「R・TYPE LEO」

 もちろん、続編や外伝作も収録されています。

 
 1988年 アイレム 「イメージファイト」

 他にアイレムでよくプレイしていたのがこの「イメージファイト」ですね。
 自機(ダイダロス)の速さを自分で好きな時に4段階で変えられる「変速システム」が斬新で、
 変速に伴うバックファイアーで攻撃出来たりして、
 オプション(ポッド)を含めてアイレムならではのアイデアが詰まった良作でした。

 
 1991年 データイースト 「ウルフファング 空牙2001」

 この 「ウルフファング 空牙2001」も良くプレイしました。
 コレはシューティングではなく、アクション・シューティングに分類されますね…。

 このゲームの楽しさは自機「装甲機兵」のチューニングにあり、
 ボディ・アーム・レッグのパーツを自由に組み合わせることで、64種類の「装甲機兵」を操ることが出来ます。
 それぞれの機体は攻撃方法や移動方法が異なり、64種類の機体に加えて4種類の銃器がメイン武器として装備できるので、
 攻撃のバリエーションがとてつもなく豊富です。

 やり込み度があってゲーム自体も面白くて人気があり、後に「装甲機兵」のアクションフィギュアが数体 販売されました。

 
 2001年 CAVE / CAPCOM 「プロギアの嵐」

 シューティングゲームを紹介していたらキリがないので、一気に2000年以降まで時代を進めましょう。

 コレはスチームパンクの世界観をもつシューティングで、
 グラフィックがキレイで「メタルスラッグ」のように敵の動きのアニメーションが細かくて見事でした。

 CAVEが開発しただけあって、横スクロールながらも実は弾幕系シューティングで、
 ボス戦ではとんでもない数の弾幕を張ります。
 縦スクロールで馴れているゲーマーでも、本作は苦戦するかもしれません…。

 
 左:2006年 CAVE 「ピンクスゥイーツ 〜鋳薔薇それから〜」  右:2007年 CAVE 「むちむちポーク!」

 2000年以降のシューティングゲームはCAVEの作品が多くてラインナップが豊富です。
 前回紹介した「怒首領蜂シリーズ」や「虫姫さまシリーズ」だけでなく、上の2作品や「エスプガルーダ」も収録。

 
 2008年 CAVE 「DEATH SMILES メガブラックレーベル」

 そして「プロギアの嵐」に続いて、
 CAVE2作目の横スクロールシューティングとなる「DEATH SMILES」も収録されています。

 「DEATH SMILES」はゴシックホラーの世界が舞台で、
 魔法使いの四姉妹(キャスパー・ウィンディア・フォレット・ローザ)が、
 魔界帝王(ティラノサタン)を倒しに行くという王道ストーリー。

 まだ9年前のゲームということもあり、グラフィックがキレイで攻撃や演出がド派手です。

 

 やはり現在のアーケードゲームの花形と言えば“対戦格闘ゲーム”ですね。
 ココからは“対戦格闘ゲーム”をご紹介します。

 
 1987年 CAPCOM 「ストリートファイター」

 コレは言わずと知れた、対戦格闘ゲームの名作「ストリートファイター」シリーズの第1作です。
 この第1作のアップライト型筐体では、攻撃ボタンがパンチとキックが1個づつしかなく、
 そのボタンは圧力センサー式で、押す力の強弱がそのまま攻撃力の差になるというシステムでした。
 (テーブル筐体は現在と同じ6ボタン式です)

 当時はそれほど人気が無かったモノの、
 4年後の1991年に稼動して爆発的な人気を誇った「ストリートファイターU」の基礎となる対戦システムは搭載していたので、
 やはりこの「ストリートファイター」は2D対戦格闘ゲームの原点であると言えるのではないでしょうか…。

 
 1999年 CAPCOM 「ストリートファイターV 3rd STRIKE - Fight for the Future -」

 「ストリートファイター」シリーズには、「ZERO」や「EX」だけでなく、
 他社ゲームとのコラボ作品もあり その数が膨大なため、今回は紹介を省略しました…。

 ちなみに、このPCに入っていた一番最近の作品は、
 「ストリートファイターV」シリーズの最終作
 「ストリートファイターV 3rd STRIKE - Fight for the Future -」でした。

 
 左:1994年
SNK「ザ・キング・オブ・ファイターズ '94」 右:2004年 「ザ・キング・オブ・ファイターズ2005」

 対戦格闘ゲームと言えば「SNK」も忘れてはいけませんね。
 この 「ザ・キング・オブ・ファイターズ ’94」は、
 「餓狼伝説」や「龍虎の拳」などの対戦格闘ゲームの人気シリーズを開発していたSNKが、
 同社の他のアクションゲームのキャラクターと、対戦格闘ゲームのキャラクターを戦わせることができる、
 「ドリームマッチバトル」システムを採用した対戦格闘ゲームです。

 この「ザ・キング・オブ・ファイターズ(KOF)」シリーズも続編が数多く制作されているため、紹介は省略しました…。
 ちなみに、このPCに入っていた一番最近の作品は、
 10周年記念作品「ザ・キング・オブ・ファイターズ 2005」でした。

 
 左:1993年 SNK 「サムライスピリッツ」         右:2004年 SNK 「サムライスピリッツ零 SPECIAL」

 この「サムライスピリッツ」もSNKの人気格闘ゲームシリーズのひとつですね。
 しかし上の「ザ・キング・オブ・ファイターズ(KOF)」シリーズでは、
 世界観が違うという理由で“ナコルル”くらいしか参戦しておりません…。

 でもこのPCにはちゃんと「サムライスピリッツ」シリーズも収録されていました。
 このPCに入っていた一番最近の作品は、シリーズ第8作目となる「サムライスピリッツ零 SPECIAL」です。

 ※ 紹介しきれませんでしたが、
    他にも「豪血寺一族」や「ヴァンパイア」などの人気シリーズも入ってました。
    もちろん、シリーズ作じゃない単体作品も数多く収録されています。

 
 左:1998年 CAPCOM 「ジョジョの奇妙な冒険」     右:1999年 「ジョジョの奇妙な冒険 未来への遺産」 

 有名な人気シリーズだけでなく、版権モノの対戦格闘ゲームもちゃんと収録されていました。
 この「ジョジョの奇妙な冒険」や「ドラゴンボール」などの人気マンガだけでなく、
 マーベル系のアメコミ作品や実写系の「モータルコンバット」シリーズなども揃っています。

 
 1993年 SEGA 「バーチャファイター」

 2Dだけでなく、3D対戦格闘ゲームも数多く入っていました。
 「鉄拳」「ソウルキャリバー」「サイキックフォース」などなど…。

 
 1987年 SEGA 「アフターバーナーU」

 そして、いわゆる普通のビデオゲームだけでなく、
 MAMEにはこの “アフターバーナー” などの体感ゲームも数多く収録されています。
 当然 座席は動かないですが、レバーとボタンでプレイは可能です。

 
 1982年 SEGA 「Buck Rogers PLANET Of ZOOM 909」

 コレは少年時代、近所の大型スーパーのゲームコーナーにあった擬似3Dシューティングゲーム「ZOOM 909」です。
 このレトロ感が実にたまりません…。

 
 1988年 SEGA 「ギャラクシーフォースU」

 そしてコレは同じコンセプトで開発された擬似3Dシューティングゲーム「ギャラクシーフォースU」です。
 静止画では分かりませんが、
 宇宙の奥行き感やグラフィックの質が格段に向上しており、6年という月日の流れを感じます…。

 
 1985年 SEGA 「スペースハリアー」

 SEGAの擬似3Dシューティングゲームといえば、個人的に「スペースハリアー」は外せません。

 少年時代の当時 ウチにはNECのパソコン「PC−6001」があり、
 この「スペースハリアー」の「PC−6001版(カセットテープ)」を購入してプレイしていました。

 ※ データレコーダにカセットを入れて、30分近くPCにデータを読み込ませてゲームを起動すると、
    アーケードゲーム版とは程遠い、
    大きなドットだらけの原型を留めていない「スペースハリアー」が画面に映し出されて、あまりの酷さに愕然としたモノです…。

 
 1986年 SEGA 「アウトラン」

 そしてコレは “アフターバーナー”と同時期に稼動していた名作レースゲーム“アウトラン”です。

 80年代の当時はゲームミュージックが人気で、この“アウトラン”の音楽CDも非常に人気がありました。
 MAMEはアーケードのオリジナル音源を再現しているので、音楽を聴いているだけでも楽しいですよ。

 

 そしてこの “アウトラン” もハンドルとペダルではなく、レバーとボタンでプレイが可能です。

 画面の右下にMAMEオリジナルのシフトチェンジ表示があり、
 ボタン操作でシフトチェンジを行い、レバーを左右に動かしてハンドルを切るというプレイスタイルです…。
 (ハンドル&ペダルのコントローラーを繋いでのプレイも設定変更すれば可能です)

 ※ 全然紹介できませんでしたが、
    「アウトラン」のような擬似3Dや、「リッジレーサー」のような3DCGのレースゲームも数多く収録されています。

 

 MAMEオリジナルの画面表示と言えば、この “電車にGO!” も凄いです。

 
 1998年 TAITO 「電車でGO!2 高速編」

 通常は大型ゲーム筐体に内蔵された各ランプやメーター表示を、画面の下に一括表示してプレイを可能にしています。

 
 1999年 namco 「ゴルゴ13」

 そしてガンシューティングゲームも抜かりありません。

 

 この大型筐体の “ゴルゴ13” は家庭用ゲーム機には移植されていないので、
 オリジナル筐体の他で現在プレイできるのはMAMEだけでしょう。

 

 通常ガンシューティングの多くは、銃口のセンサーを照準と連動させていますが、
 MAMEではガンコントローラーが無くても、
 照準の位置をレバーで移動させてボタンで撃つというスタイルでプレイを実現しています。

 (設定を変更すれば、ガンコントローラーを繋いでのプレーも可能です)

 
 1986年 TAITO 「ダライアス」

 大型筐体といえば、真っ先に思いつくのが3画面を用いた超大型筐体 “ダライアス”ですね。

 

 ちなみにMAMEでは、3画面を横に並べた超横長の画面でプレイできます。

 
 1987年 TAITO 「THE NINJA WARRIORS (ニンジャウォーリアーズ)」

 同じ3画面筐体の “ニンジャウォリアーズ” も…

 

 同じく超横長の画面になります。

 

 そしてコレがMAMEを終了したPCのデスクトップ画面です。

 LANを繋げばネットサーフィンも出来ますが、ウイルス感染などのトラブルの元なのでネットには一切繋いでおりません。
 ゲームのデータは別のPCでも管理しており、ゲームデータの追加はUSBメモリ経由で行っております。
 (ちなみに OSは Windows7 でした)

 
 1994年 SEGA 「デイトナUSA」

 MAMEはプログラムの特性上 ポリゴンを多用したゲームの再現が苦手で、
 プレイできるのは “バーチャファイター”(MODEL1基板)クラスのゲームまでです。

 

 しかしMAMEではなく、他のゲームエミュレーターを用いれば “MODEL2以降”クラスのゲームもプレイすることが可能です。

 ※ このSEGAのエミュレーターは自分でインストールした物で、落札したPCには入っておりません…。

 
 1994年 SEGA 「バーチャファイター2」

 デモ画面を見ていると、当時を思い出しますね…。

 
 1995年 SEGA 「電脳戦機 バーチャロン」

 ちなみに “バーチャロン” は画面の分割ができない為、プレーできるのは1Pのみで対人による対戦プレーは出来ません…。

       

 以上、
 収録しているゲームの紹介とDIYによるオリジナルゲーム筐体の制作レポートを行ってまいりましたが、如何だったでしょう?

 ココで紹介したゲームは本当に“ごく一部”で、さすがに約40年に渡って稼動していた全てのゲームではないものの、
 有名なメジャータイトルのゲームは“ほぼ網羅”されていると思います。

 ちなみに、画像を使って紹介できませんでしたが「成人向けゲーム」も多数収録されております。
 海外製の一部のゲームには、局部が無修正の実写画像を使ったモノまでありました…。

 まぁ、それはさておき、
 ゲーム好きの方ならもちろん、そうでない方も少しは魅力を感じて頂けたのではないでしょうか?
 そこで私が思いつく、このゲーム筐体の魅力をいくつか箇条書きにしてみましょう。

 ● まずはJAMMA規格などの基板と違うので、1台で数千タイトルという膨大な数のゲームがプレイできる。

 ● アメリカやロシアなど、世界にあるゲーム博物館で実際に展示されているような希少ゲームが実際にプレイできる。
    (愛知にある「日本ゲーム博物館」は、現在施設改装中の為に休館中です)

 ● 昔、駄菓子屋やデパートの屋上、ゲームセンターや温泉旅館などでプレイしたゲームを好きなだけ自宅で遊べる。

 ● 家庭用ゲーム機に移植されていないゲームもプレイできる。
    (移植されていても完成度が低くて不満だったゲームもゲーセンクオリティで楽しめます)

 ● 昔クリアできなかったゲームをお金を気にせずにエンディングまで目指せる。
    (脱衣マージャンや、セクシー系パズルゲームなど、周りの目が気になるゲームも好きなだけプレイできます)

 ● エンディングを目指すにあたって、まだあまり見かけない“レトロアーケードゲームの実況配信”も可能です。
    (MAMEならゲームプレイ中どこでも一時停止ができる(要キーボード)ので、食事やトイレも全く問題ありません)

 ● ゲームをしない時はパネル照明をつけてインテリアとして…。
    (更に好きなゲームを起動してデモ画面にしておけば、懐かしのゲームサウンドが部屋じゅうに…)

 ● 1970年代〜2000年代の約40年間にリリースされたゲームを収録しているので、
    幅広い年代の人と会話やプレイが楽しめます。

    などなど… 

 

 ちなみに、このゲーム筐体の制作には約12万円かかりました。

 ただし、こだわって採用した業務用ディスプレイM-19が47520円(税込み)だったので、
 ディスプレイにこだわらなければ約8万円前後で制作が可能だと思われます…。

 しかし現在「PS4 Pro本体」が約4万6千円、「Nintendo Switch本体」が約4万円で購入できるので、
 「この8万円が高いと思うか安いと思うかはアナタ次第」って感じですね…。
 でもソフトを購入せずに 数千タイトルのゲームがプレイできるので、考え方によってはお徳かも…。


 実は海外ではオリジナルのゲーム筐体を自作する文化があり、
 大型ディスプレイや、複数台のディスプレイを搭載した大型筐体や、4〜6人が同時にプレイできる特殊な筐体など、
 業務用のゲーム筐体と遜色のない、
 かなり本格的なゲーム筐体を制作されている方々が世界中におり、その制作過程をサイトやブログ等で皆さん公開されています。

 日本にも 3画面を搭載した「ダライアス」の大型オリジナル筐体を制作された方がいらっしゃたりして、
 数は少ないながらも日本でオリジナルのゲーム筐体を制作されている方がおられます。

 そんな方々のサイトやブログを参考にして、このゲーム筐体を制作いたしました。
 この場をお借りして、皆様にお礼を申し上げます…。

 
 

 かれんさん:「では、興味を持った人は是非作ってみてくださいね〜♪」


 ※ 最近“かれんさん”要素が少なかったので、
    次回は“かれんさん”が「ハロウィンパーティー」を楽しむ様子をお伝え致します…。


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